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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第128回 |
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件名:映画と社会は相互作用 投稿者:森 達也
美奈子さま
僕にとって初めての劇映画となる『福田村事件(仮)』のクランクインは8月中盤過ぎの予定だけど、その準備期間である今、ドキュメンタリーとの違いを実感しています。 ……と書き始めたけれど、これまで事あるごとに言ってきた「ドキュメンタリーとドラマのあいだに本質的な差はない」とのフレーズを撤回するつもりはまったくないです。やっぱり本質に差はない。 でもスタッフとキャストのチームプレイである劇映画は、現場では一人か(多くても)二人が当たり前だった僕のこれまでのドキュメンタリーのスタイルとはまったく違う。ロケハンもオーディションも衣装合わせも本読みも、当たり前だけどほぼ初体験。いろいろ刺激的です(ただしドキュメンタリーの始祖と呼ばれるロバート・フラハティが、撮影前にオーディションやキャスティングを頻繁に行っていたことは周知の事実だけど)。 チームプレーは苦手だと自分で勝手に思い込んでいたけれど、意外とそうでもないこともわかってきた。人はやっぱり集団で生きる存在なんだとあらためて実感しています。あと、この齢になってから新しい体験ができることも嬉しい。 『広州5・18』はまだ観ていないけれど、作品の評価としては、僕の周囲では決して高くない。でももちろん、国家にとって都合の悪い事実を映画というエンタメで光を当てることについては、僕が今暮らしている国ではやりづらいだけに、賞賛しなければいけないと思っている。いや「しなければいけない」じゃないな。本当に賞賛している。 ただし、こうした作品がなかなか生まれない日本の映画業界については、一概に批判するつもりはない。だって商業映画なのだから。売れない深海魚ばかりを店頭に置いている魚屋さんはつぶれてしまう。誰も観に来ないならば、作る意味はない。 その意味では他のメディアも同じ。批判性が強くて問題提起の度合いが高い映画がもしも今の日本に少ないのならば、理由は社会がそうした映画を求めていないから。なぜ韓国映画はこれほどに攻めることができるのか。理由は観客が攻める映画を求めるから。今に始まったことではない。かつてネットやテレビがない時代に新聞は戦争に加担したとよく言われるけれど、理由は戦意高揚に結びつくような勇ましい記事を書かないと売れなくなるから。軍部の検閲はその後です。「関東防空大演習を嗤ふ」を書いた桐生悠々は、掲載翌月に不買運動が起きたことなどを理由に信濃毎日新聞を退社することを余儀なくされた。
でもこのロジックは愚民思想に陥りやすい。それには微妙に違和感がある。メディアと社会は相互作用。互いに影響し合っている。だからこそメディアの不作為と怠慢は批判されなければならない。もう少し踏みこたえることはできたはずだと今は思う。あまりにも腰砕けが早かったことも確か。
昨日までは演出部ロケハンで京都に滞在していました。毎日ありえないほどの猛暑。そして昨日は一転して豪雨。それも局所集中で時間も間欠的。要するにスコールですね。 人は進化しない。そして世界は変わらない。同じことを繰り返している。でもこの国(というか世界規模だと思うけれど)の気候は本当に変わった。そう思いながら還暦前後の男6人でワゴン車に乗って、酸欠になりかけながら帰京しました。
森 達也
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