|
web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第135回 |
|
件名:あとは自己責任で 投稿者:斎藤美奈子
森 達也さま
1月も本日で終わりです。……と書き始めましたが、2月になってしまった。 新型コロナ感染症が席巻して丸3年が経過、とうとう4年目に入りました。 第8波のピークは越したものの、けっしてこれは小さい波ではなかった。死者数は過去最多を更新し続け、1月13日には全国で1日で523人を記録しました。 で、こんな報告も……。
------------------------------------------------------ 「厚生労働省のオープンデータを見ると、統計を取り始めた2020年5月9日から2022年1月21日までの約2年10カ月の間に新型コロナに感染して亡くなった人は6万4430人。第8波に入って急増しており、昨年12月1日から今年1月21日までの2カ月にも満たない期間で1万5399人に上る。累計死亡者のおよそ4人に1人がこの第8波で亡くなっているとみられる」(1月24日・東洋経済オンライン) ------------------------------------------------------ 数字だけみると、やっぱりギョッとしちゃうよね。 死者のほとんどは基礎疾患のある高齢者とはいうものの、それは最初からそうだった。ゆえにオミクロン株は感染力は強いが、重症化率は低いといわれても、この状況は「まずいんでないの?」と私は思ってしまうわけですが、話はそう簡単でもないようで……。 死者数急増の原因は、そもそも感染者数がきわめて多いこと(カウントされていない人も含め)、報告されている「コロナ死亡」には間接的な死因が含まれていること、大病院のICUで死亡するような直接死亡症例はむしろ激減していること、別の疾患で死亡しても「コロナ陽性」だと「コロナ死亡」と判定されるケースがあること……。
すると実際の「コロナ死亡」はもっと少ないということなのだろうか。 あるいは基礎疾患のある高齢者は死亡しても仕方がないという判断なのか。 たしかに、ワクチン接種も集団免疫も進み、以前とは状況は違っているのだろう。私の周りでも2回目という人も含めて感染経験者はもう当たり前になり(森君も菊地さんもだものね)、みんな、そこそこ元気にやってるようなので、コロナ初期の緊張感は薄れている。 ただ、ニュース検索で「コロナ クラスター」と入れると、毎日、老人介護施設などでかなりの数のクラスターが起きている。病院もだけど、介護施設は相当大変なんじゃないだろうか。病院も介護施設も、面会はいまだにシャットアウトですからね。 2類から5類へ引き下げられれば状況は変わるという人もいるけれど、引き下げは妥当なのか。これについても意見は割れてて、私にはよくわかりません。ただ、ひとつだけわかったのは 「あとは自己責任でよろしく」 が政府の方針(専門家の意見も)なんだなあということでした。岸田政権は発足時から、コロナ対策らしい対策は、ほとんど何もやってなかった。安倍政権の定見のなさ(アベノマスク!)も、菅政権の右往左往(行動制限+オリンピック敢行!)も、ひどいものではあったけど、「何もやらない」からいきなり、5類に引き下げ、マスクは外せ、というのも乱暴なもんだなと思います。
この3年、目の前のコロナ禍はさておき、私の意識が変わったと思うのは、古い文学作品なんかを読む時の姿勢というか気分だった。前は読み飛ばしていたか、読んでも忘れるかしていた、感染症(疫病)に関する記述に、センサーが敏感に反応する。 わかりやすくいうと、みんなこんなに疫病で死んでいたのか、と。 一昨年、翻訳少女小説の本(『挑発する少女小説』)を書いたのだけれど、少女小説の主人公には「みなし子」が多いわけ。しかし両親の死因までは考えたことがなかった。ところが、『赤毛のアン』のアンの両親は「熱病」で死んでるし、『秘密の花園』のメアリーの両親はインドでコレラで死んでいる。『若草物語』のベスも猩紅熱で死にかける。考えてみると、両親が時同じくして死ぬっていうのは感染症が疑われるわけですよね。
先日も、ちょっと必要があって、細井和喜蔵(この人は『女工哀史』の著者なんですが)が、工場を舞台に書いた小説『奴隷』(1926年)を読んでいたら、こんな箇所にぶつかった。
------------------------------------------------------ 市に猖獗をきわめたコレラが場末の工場町へも伝播して、囲みいと厳重な略奪の城へも侵入してきた。町では一軒の家に一人患者が発生すると直ちに鼠島の避病院へ隔離されて、二分の一丁四方の住民は交通を遮断されてしまった。そうして釣り台が動き、防疫吏が走り、巡査のサーベルが鳴って辺り一帯はごっちゃ返すような混乱に陥った。工場の問へは濡れ筵(むしろ)を敷いて石炭酸水が撒かれ、赤い昇汞(しょうこう)水の甕が備えられた。 工場は分署から係管が出張して寄宿舎の患者を一応取り調べた。しかしほとんど隔離の方法がつかぬので彼はまったく途方に暮れざるを得なかった。一棟の家に千人も住んでいて患者の数といえば百人を超える。それがさながら蜂の巣みたいなところなのでどこまでを一防疫区域としていいか判らなかった。それに避病院の収容能力も郡の患者だけで既にいっぱいになっている。 『奴隷ーー小説・女工哀史1』岩波文庫 p272 ------------------------------------------------------
このあと、工場はどんどん悲惨な方向に進んでいくのだけれども、人が密集した工場や寄宿舎の劣悪な環境は、クラスターが発生する条件をまさに備えていたわけですよね。 戦前の工場労働は、私には大切なテーマのつもりだったのだけど、当時の工場(「女工哀史」)とパンデミックの関係も、前はちゃんと考えたことがなかったな、と。 4年目に突入したコロナ禍の雑感でした。
斎藤美奈子
|
|
|
|
|
|